【雄略陵古墳】(ゆうりゃくりょうこふん)大阪府羽曳野市

【雄略陵古墳】(ゆうりゃくりょうこふん)大阪府羽曳野市

 

 

雄略天皇」(ゆうりゃくてんのう)は5世紀後半の大王で、当時の中国王朝へ称号を求めるために遣いを送った倭の五王の一人、「武」として知られている。また、「雄略天皇」(ゆうりゃくてんのう)は、第21代天皇(在位:安康天皇3年11月13日 - 雄略天皇23年8月7日)。大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ、大泊瀬幼武尊 おおはつせわかたけるのみこと とも)、大長谷若建命、大長谷王(古事記)、大悪天皇、有徳天皇とも。
宋書』『梁書』に記される「倭の五王」中の倭王武に比定される。その倭王武の上表文には周辺諸国を攻略して勢力を拡張した様子が表現されており、埼玉県行田市の稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣銘や熊本県玉名郡和水町の江田船山古墳出土の銀象嵌鉄刀銘を「獲加多支鹵大王、すなわちワカタケル大王と解して、その証とする説が有力である。

 

日本書紀』の暦法が雄略紀以降とそれ以前で異なること、『万葉集』や『日本霊異記』の冒頭に雄略天皇が掲げられていることから、まだ朝廷としての組織は未熟ではあったものの、雄略朝をヤマト王権の勢力が拡大強化された歴史的な画期であったと古代の人々が捉えていたとみられる。

 

 

 

所在地 :大阪府羽曳野市島泉8丁目

 

アクセス: 近鉄南大阪線「高鷲駅」下車 北へ600m

 

 

 

 


 

 

#kazu1000 # kazuyoshi